社会がおかしくなっていくのを
何年か前から感じていたが
ここのところは 特にそう感じる
いや 社会というよりは
人間が
おかしくなっているわけだ
社会は
人間という 個の 集まりに過ぎないのだからね☆
テレビをつけると 連日のように
むごい事件や おかしな事件があって
みていられない
聞いていられない
怖くなる
怒りたくなる
悲しくなる
吐きそうになる
いやになる!
でも なんとかしなくてはいけない! と
ひとり あせってしまう
ああ・・・
この自分に 一体 何ができるのかと
うろたえる心と体を
落ち着かせるのに 苦労する
事件や
そうでなくても この日常のいろんな場面に
壊れたかのような人間のあり方が
多くなっているのを 感じることがある
話は 少し それるかもしれないが・・・・
いまや 親すら
何か どこか おかしくなっているのを感じるときには
さみしいものを 感じる
赤ちゃんが泣いたとき
わたしが子育てしてきた頃には
そっと だっこして 安心させた
しかし いまの親は
赤ちゃんを安心させるのではなく
携帯電話を渡して 気をそらさせ
泣きやまそうとする
そういう母親がとんでもなく多くそこらへんにいるのを見たときの
驚きといったら ない
赤ちゃんが泣いているのは
何かが不安になったのかもしれないし
眠いのかもしれない
ただ 少し だっこしてほしいだけなのかもしれないし
おむつが濡れているのかもしれないし
おなかが空いているのかもしれないのに
・・・
気をそらされただけの赤ちゃんは
どのみち また 泣く!
本当の欲求を伝えるために
また 小さな子が父親といるときに
その 異様さを感じる場面が多くある
子どもが パパ抱っこして! と言ったり
パパあのね・・・と話しかけているのに
完全無視で 携帯をいじってばかりいる
無視され続けた子どもが 遂に 大きな声で
パパ! パパ! ねぇあっちに行きたいよぉ!
と大きな声で言うか 泣くかしたとき
ようやく親は 子どもをみて こう言うのだ
「うるさい!」と
・・・ありえません
日常で
そんな景色をひとつ見るだけでも
人が なにか
おかしくなっているのを感じずにはいられない
「情」の欠如は 「愛」の欠如
怖いよね・・・・
子どもは 誰もみな 親の愛がないと生きていけない生き物なのに
そして そもそも
人間そのものに
愛は必要不可欠なものなのだから
社会がおかしくなるのは
誰のせいでもない
ひとりひとりの意識のせいとしか
いいようがない
愛のないことを考える人が増えれば
冷たい世の中になるしかなくなる
よからぬことを考える人が増えれば
社会は ゆがんでいくしかなくなる
・・・・ なんということ!
人間には
考える頭があり 感じる心がある
何をどう思考し どう行動し どう思いながら生きるのかは
すべて 個人にかかっている
どのみち 何かを考えるなら 何かを感じるなら
愛と光に満ちたことを!
あたたかいことを!
情のあることを!
そして
もっと良いことを
もっと素敵なことを
もっと幸せになることを!
・・・
とはいうものの
人間はいつも 2種類にわかれるものなんだよ
良いことを目指す人と
そうでない人に
それは ちょっと 悲しいよ
本当は 誰の中にも 良心があり
仏性があり 神性もあるのだからね
良いものを目指したいよね
たとえば・・・
2種類にわかれるというとき
感謝する人としない人は
より わかりやすい
感謝する人は いつでも感謝し
感謝しない人は いつでも 不平不満の中にいて
誰かや何かに文句を言うだけで
決して 感謝を示さない
そうして 感謝するような謙虚な人に限って
「自分の至らないところをもっとなおそう」
「もっと自分を磨こう」
「もっと人さまの役に立とう」などと
感謝しているからこそのことを
まわりにふりまく
それをみている感謝しない人は
そういうできた人にまで文句をいうだけなのだ
同じ人間に生まれてきていても
頭と心の使い方が違うだけで
言動も 人との接し方も 暮らし方も 人生の叶え方も
すべてが
大きく違ってくる
だとしたら
そこから 正すしかないんだよ
頭で何を考え
心で何を思うのか
自問自答して
自分をみつめて
生きるしか
ミラクルハッピー 佳川 奈未