人間の本性というのは
おうおうにして
追い詰められたときや
とっさのときに
出やすいものである
たとえば
浮気であれ なんであれ
一番知られたくない人や大切な人に
何か 陰でやっいた悪いことが
ばれたというとき
そのことについて 問われ 追い詰められても
その人の 本性が そもそもピュアで素直な場合は
とっさに
「ごめんなさい」と出る
そう 素直に謝ったり 謝罪したりして
まずは その非を認め
相手に 心の限り 許しをこいたいと
そう 純粋に 思うものである
そういう人は 救いがいがあるし
救われやすい☆
なにせ 反省して
ここから
いま一度 良好な関係を
取り戻したいという
人間らしい あたたかい思いがあるからだ
しかし
隠しておきたいことが
陰でやっていた悪事が
ばれたとき
それについて問われ 追い詰められたとき
その人の本性が そもそも
汚れてしまっていたり
ゆがんでしまっていたりすると
とっさに「ごめんなさい」とは出ないものだ
逆に
とっさに なにかをごまかしたり
さっさと 証拠隠滅をしたり
ものすごい 悪あがきをしまくる
そうして
あろうことか しまいには
「バレたら しかたない!」
と言うかのように
逆切れしたり
攻撃してきたりするものだ
この 本性の現われ方は
すごいもので
とっさに 出るから
ごまかせない☆
そういえば
阪神淡路大震災のとき
興味深いことがあった
それは
地震が起きたとき
とっさに
「おい、大丈夫か!」と 家族のもとにかけより
奥さんを抱きしめて 助けたというご主人がいた家庭は
その後 それがきっかけで
より仲良くなったという
逆に
自身が起きたとき
とっさに 自分だけ逃げた
というご主人がいて
それで離婚になったという夫婦がある
どんな場合も
本性の怖いところは
それが
自分の無意識に
勝手に
とっさに
出てしまうものだということだ
それゆえ
あとになって
なにを どう つくろおうとしても
無理なのだ
この本性の 良い悪しは
いったい
どこで 変わるのだろうか・・・
きっと それは
日頃から
本当に 心から 人や何かを思いやる習慣が
そもそもあったかどうかに
よるのではないだろうか
人間的な情
人間的な素直さ
人間的な優しさ
人間的な慈愛・・・・
それを忘れた人の
なんと ひどいふるまいか
その本性をみたとき
ショックを受けるものだ
いいも
悪いも
どちにも☆
ミラクルハッピー
佳川奈未